キエフでは原発事故半月後に子供たちを疎開させた
福島原発の収束は相変わらず見えない。
ある専門家によれば、原発から流出した放射性物資はおよそ100京ベクレルに及んだという。
(大半は太平洋に流れ国土ではなく海洋を汚染したわけだが)
しかし、この状況になっても、福島等の濃厚な汚染地域について、子供や妊婦の公的な避難すらされていない状況がただ驚きだ。
自主避難をすればいい、と簡単に言える問題ではない。家庭には様々な事情があるし、ローン、仕事や住むところなどいろいろと個人レベルで対応が難しい問題がある。公が動かないことには、個人が動くことも、それを下支えするための企業の動きも起こりづらいのが事実だ。
1980年代半ばのチェルノブイリ事故では、事故翌日には公によって原発から数キロの都市プリピャチは約5万人の全住民が1000台以上のバスを使い避難させられ、約1週間後には30キロ圏内の住民と家畜が避難させられている。現在でも30km圏内は居住禁止だ。
この際の避難についても、避難を進めようとする論調に対し、大規模避難は事故の大きさを知らしめてしまい、国家事業である原発推進を妨げてしまうため、避難に反対する陣営がいたという。