明るい生活
こういう看板って、結構好きなんだよね。店名がとってつけたような汎用品なのかもしれないけど。
この看板を撮った米子を前回訪れたのは、3.11だった。
13:30羽田発のANAが米子空港に着いたのは15:00くらい。
あの日は、
こういう看板って、結構好きなんだよね。店名がとってつけたような汎用品なのかもしれないけど。
この看板を撮った米子を前回訪れたのは、3.11だった。
13:30羽田発のANAが米子空港に着いたのは15:00くらい。
あの日は、
久しぶりに米子のまちを歩きました。
本当に、いい町です。人の活動、息吹、古さ、朽ちていくもの、生まれるもの。
これからの時代を手探りで探す前向きな動きの中に、
希望の光は見えていました。
まちづくりの仕事って本当にいいな、と思えることは幸せです。
8月のある日、ふと思い立って、郡上八幡のまちなかを歩いた。
色濃く、自然、人工物、建造物、風、生命の色が混じりあう。
それは程よく、そして懐かしい望郷の先の風景。
肌を焦がすような日差しは足下の舗装に乱反射し、雨上がりのむっとした、むせるような空気を作りだした。
汽車道。
次期コンデジ変わりにNEXを選んだのは、ワイコン、フィッシュアイコンバーターが
ともに1万円そこそこで購入できるから。
まちづくりの仕事をしている自分としては、とても役に立つのだ。
横浜美術館にポンペイ展を観に行った。その道すがらに撮った風景。
ポンペイ展は平日というのに人が多かった。
火山の灰に埋もれ、1900年以上の時を経て発見、発掘されたまち。
火砕流に逃げ遅れ、城壁から転落した女性の石膏型。
火砕流がいかに急速にまちを飲み込んだかが分かる。
展示されているスプーン、お皿、ガラスの瓶。
なんだ、今も2000年前も、使っているものに変わりがないじゃないか。
彫像、壁画。そこにかかれている人の姿は、着ているものこそ違うけど、
現代人と似たような姿をしている。
日本が縄文だとか弥生時代の文明都市。
やっぱり、歴史っていうのはロマンがある。
時に、自分が生きる今は、2000年後はどのようなロマンを与えられるの
だろうか?
何やら下が騒がしいぞ…
お花見まっ盛り
上の画像は二ヶ領用水のウッドデッキの様子。
今年も、二ヶ領用水の桜が見事なまでに咲きました。
ここ数年、この道は神奈川か何かの桜100選に選ばれたからか、
観光バスも来るなどこの時期の週末はすごく盛況です。
今日も、すごい人ゴミができていました。
でも…
今日歩いていてすごく気になりました。
いよいよ東京タワーの高さを抜き、日本一のタワーとなったスカイツリー。
桜咲く風の強い春の日に、桜見物も兼ねてちょっと画像を撮りに行ってみた。
そして撮ってきたのは…
クレーン。
だって、スカイツリーを見に来て賑わう人々はみんなツリーや街並みをとっている。
同じものだけをとってもつまらないじゃないか。
それに見よ、(今日は風でお休みしているけど)けなげに働くあの青空のクレーンを!
よし、今日はクレーンをとるぞ…
ほんの一部ですが。。。
仕事で札幌に行きました。その夜にイベント事業の視察がてら
雪まつりを見てきました…
各大きな雪像の前には、ステージが あり、降りしきる雪の中、出し物が
披露されていました。
稚内→羽田便から撮りましたよ。
10月の3連休、恩師のゼミの同窓会に誘われ草津温泉に行ってきました。
初めて草津に行きました。
街のど真ん中の湯の花畑。湯の花をとっています。
とある晴れた平日の日、谷中から都内のアジサイ神社、
白山神社を散歩してきました。
ダイジェスト版でどうぞ。
谷中銀座商店街
いわずと知れた活気ある下町の小さな商店街のひとつ。
テレビドラマの舞台などにもなった。
お惣菜やお菓子のにおいに誘われる。
路地に入っていく。
恩師のお葬式に愛媛の今治に行ってきました。
その途中立ち寄ったのは坊ちゃんの舞台になった松山の道後温泉
恩師のお葬式に愛媛の今治に行ってきました。
その途中立ち寄ったのは坊ちゃんの舞台になった松山の道後温泉
山居倉庫。ここは一見の価値あり。
それとこの画像、
やっぱりRAWモードで撮ったあとに自分で現像すると、
色合いよく仕上げることができるんだな、と実感。
「おくりびと」で葬儀社に使われた建物
山居倉庫。ここは一見の価値あり。
それとこの画像、
やっぱりRAWモードで撮ったあとに自分で現像すると、
色合いよく仕上げることができるんだな、と実感。
「おくりびと」で葬儀社に使われた建物
なかなかきれいです
が、
クマさんなんだか病気みたいです。
国立のまちを歩いてきました。
映画「グラン・ブルー」のモチーフになったジャック・マイヨール。
2001年、残念な死を遂げる彼が、初めて海で泳ぐことを教わったのは、
ここ、佐賀県唐津市、虹ノ松原だった。
春のとある日。
ふと、訪れた。9年ぶりの虹ノ松原だ。
東の浜から。宝くじが当たるというご利益のあるという宝当神社のある高島を望む。
唐津城
すこし、汗がにじむ暖かい陽気の中、ゆっくりと歩いた。
つるつる?
唐津城の階段のクロネコ。
どうやら、おなかには子供がいたようだ。
彼女はどこかいぶかしそうに、僕を見た。
松に注意の看板
虹ノ松原の入り口。
夕刻。昼顔も、もう今日の勤めを終え、静かに訪れる
夕暮れを待っていた。
海岸沿いに、4kmもの松林が続く。
松林を散策する。
思えば、9年前にこの林を訪れたとき、
それは最後に佐賀の祖母と会ったあとに立ち寄った時だった。
しわしわの顔。小さな体。
本当はもう、彼女は2年も前に、「余命三ヶ月」を宣告されていた。
大学からの帰り、その足でスカイマークエアラインに飛び乗って、
彼女の元を訪れた。
そうして僕らは病室でお互いが叶うことはないと知っていた優しいうそをつきながら、
お別れをしたはずだった。
しかし、彼女は運命に逆らって生き続けたのだ。
腎臓を患っていた彼女は、一日に湯のみ一杯しか水が飲めない。
「のどが渇いてつらいよ」
でも、彼女は僕にいろいろな話をしてくれた。
最後につないだ彼女の手は、体の割りに大きく、苦労をしのばせるように
ごつごつとしていた。
僕と手をつないだ彼女は、くぼんだ目を細めて本当にうれしそうに微笑んだ。
幾重もの波が、静かに寄せては返していた。
引いていく潮が、何十もの「しわ」を砂浜に残した。
やがて、満ちていく潮が、この「しわ」を消し去っていくだろう。
そうやって、同じことを繰り返しながら古来から時は流れてきた。
どこから流れ着いたか、電球が一つ。
すっかりさび付きながら、割れることなくここにたどり着いた
電球が、文明の象徴のように見えた。
ゆらり、ゆらりとゆれる文明。
しかしそれは大きな自然の中に漂い、
深遠な時の流れに漂う。
その中で繰り返される人の営みとは、
生まれては果てていく人の営みとは、
いったいどのような使命を背負っているのだろう?
前回ここを訪れた、23歳の秋。
複雑な家庭の中で青春の焦燥にとらわれていた僕は、
いつも何か、自分が取り残されて、失っていく気がしていた。
しかし、32歳の今、改めてここを訪れて思った。
確かに、失ったものもある。
でも、その分、より幸せに気づくことができるようになった。
素直に感謝できるようになった。
自分の人生に現れては去っていった人たち、風景、動物や物事。
今、自分のまわりに寄り添ってくれる人たち、風景、動物や物事。
目に見えない抽象的な類、その他諸々。
ありがとう、おかげさまで僕はここにいます、って。
+++
今日は、なんかくさいっすね。
本当は、こんな感傷的ばかりでもなかったですよ。。
スカッ
お決まりの砂浜deバンカーショッッ!!
さて、どちらへ進もうか。すべては君しだい、だよ。