映画「グラン・ブルー」のモチーフになったジャック・マイヨール。
2001年、残念な死を遂げる彼が、初めて海で泳ぐことを教わったのは、
ここ、佐賀県唐津市、虹ノ松原だった。
春のとある日。
ふと、訪れた。9年ぶりの虹ノ松原だ。
東の浜から。宝くじが当たるというご利益のあるという宝当神社のある高島を望む。
唐津城
すこし、汗がにじむ暖かい陽気の中、ゆっくりと歩いた。
つるつる?
唐津城の階段のクロネコ。
どうやら、おなかには子供がいたようだ。
彼女はどこかいぶかしそうに、僕を見た。
松に注意の看板
虹ノ松原の入り口。
夕刻。昼顔も、もう今日の勤めを終え、静かに訪れる
夕暮れを待っていた。
海岸沿いに、4kmもの松林が続く。
松林を散策する。
思えば、9年前にこの林を訪れたとき、
それは最後に佐賀の祖母と会ったあとに立ち寄った時だった。
しわしわの顔。小さな体。
本当はもう、彼女は2年も前に、「余命三ヶ月」を宣告されていた。
大学からの帰り、その足でスカイマークエアラインに飛び乗って、
彼女の元を訪れた。
そうして僕らは病室でお互いが叶うことはないと知っていた優しいうそをつきながら、
お別れをしたはずだった。
しかし、彼女は運命に逆らって生き続けたのだ。
腎臓を患っていた彼女は、一日に湯のみ一杯しか水が飲めない。
「のどが渇いてつらいよ」
でも、彼女は僕にいろいろな話をしてくれた。
最後につないだ彼女の手は、体の割りに大きく、苦労をしのばせるように
ごつごつとしていた。
僕と手をつないだ彼女は、くぼんだ目を細めて本当にうれしそうに微笑んだ。
幾重もの波が、静かに寄せては返していた。
引いていく潮が、何十もの「しわ」を砂浜に残した。
やがて、満ちていく潮が、この「しわ」を消し去っていくだろう。
そうやって、同じことを繰り返しながら古来から時は流れてきた。
どこから流れ着いたか、電球が一つ。
すっかりさび付きながら、割れることなくここにたどり着いた
電球が、文明の象徴のように見えた。
ゆらり、ゆらりとゆれる文明。
しかしそれは大きな自然の中に漂い、
深遠な時の流れに漂う。
その中で繰り返される人の営みとは、
生まれては果てていく人の営みとは、
いったいどのような使命を背負っているのだろう?
前回ここを訪れた、23歳の秋。
複雑な家庭の中で青春の焦燥にとらわれていた僕は、
いつも何か、自分が取り残されて、失っていく気がしていた。
しかし、32歳の今、改めてここを訪れて思った。
確かに、失ったものもある。
でも、その分、より幸せに気づくことができるようになった。
素直に感謝できるようになった。
自分の人生に現れては去っていった人たち、風景、動物や物事。
今、自分のまわりに寄り添ってくれる人たち、風景、動物や物事。
目に見えない抽象的な類、その他諸々。
ありがとう、おかげさまで僕はここにいます、って。
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今日は、なんかくさいっすね。
本当は、こんな感傷的ばかりでもなかったですよ。。
スカッ
お決まりの砂浜deバンカーショッッ!!