いやはや、確定申告の作業が進まず…でもちゃんとやらねば。
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最近のボウリングは、アベ150前後を行ったりきたりです。
相変わらずフォームで苦しんでいるのだけど、
ディープインサイドからの激烈横回転に戻ったとたん、200を越えて…。
とはいえ、ホームレーンのオイルコンディションが最近は
外早なことが多く、しかも長めに入っている(伸びている?)ため、
苦戦してばかりだが、ジャスポケでピンが一瞬で倒れたりすると
なんか「やっぱりこの投げ方が楽しいな」と思える。
ここの所の、ディープインサイドに出ない投げ方の練習中に、
リーグは1位から13位まで陥落。
3週目は超外早レーン、4週目は超激遅レーンにあたったこともあり、
他のボックスのストローカーの皆さんがハンデ込みでことごとく
200以上出しているところに
めちゃくちゃアベレージが低かったのだった。
最近は大会でのレーンがはずればかりだ。
同じボックスの人も、総じてスコアが打ててないし。
今週からのリーグは本来の投げ方で行くつもり。
おそらく、アベレージも順位も上げられると思う。
5月のリーグ終了までに5位入賞、できればトップ3を目指す。
トップ3になったら、ボールを買おうっと。
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行きつけのセンターで、どうしても苦手なスタッフが一人居る。
スタッフといわず客といわず、人を見下したところがあり、性格がきつい。
へたくそな自分なんか完全に見下されていると感じるが、
今日、またムッと来ることがあって、先日のことを思い出した。
その人はどうやら、プロテストを受けようとしている人らしい。
以前、そのセンターのとある大会にその人も出ていたので話しかけて、
「上手ですね~」
といったら、すごくむっとされて、視線もこちらぬ向けず
「私、テスト生なんで」
と吐きすてられるように去っていかれた。
(まあ、あとでちょっと気にしたのか他の話をしにきたが)
このとき自分は3つのことを考えた。
(1)”え、なんか悪いことを言いましたか?”
(2)”テスト生って、えらいの?”
(3)”この人が出る大会には二度と出ません”
(同じボックスにだってなりうるわけだから)
とくに(2)なんだけどね。
仮に自分が、来年、東京大学を受験しようと思ったら、
「俺、東大受験生だから(だから、すごいんだよね)」
とかえばっていえることなのだろうか?
それ自体に、ほとんど何の意味もないのではないだろうか。
”あ、そう”
位かな。
自営業の自分の周囲には、実績のある、
お客様や社会から信頼厚い先生方(いわゆるコンサルタント)も
たくさんいる。そう、彼らはプロの面々で、おこがましいが自分も
そのプロの一人として食べている。
でも、そういう先生がたが
「自分は”○○”という取得が難しい国家資格を持っているのだぞ」
とか言っていることをまず見ない。
というか、その資格を持っていることをいう必要もないのだ。
だって、その言動、行動は十分それだけで相手を納得させられるから。
また、その資格名やプロのコンサルタントであることを言ったとして、
表面的に褒められても、真の評価は獲得し得ないのだ。
だから彼らは常に実績を蓄積し、そして新たな考えやスキルを
吸収することを惜しまない。
そしてなによりも、彼らはとても相手に優しい。
そして、物腰も穏やかなのだ。
自分は、そういう姿を見るたびに、
「プロって、こういうことだな」
と感じる。
そして、そう感じさせてくれる人の中には、
難しい国家資格なんて持っていない先生だって居るのだ。
そう、資格とか、プロテストとかは、
「それを持っていないと、○○ができない」とか、
何らかの目的に必要だからとるべき一つの手段でしかなく、
そうでなければ、それはプロフェッショナルへの絶対解ではないのだ。
(そしてたいてい、その「手段」は自分以外の
ほかの人にとってみれば、別にどうでもいいことが多い)
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プロフェッショナルという仕事をするということは、
知見やスキルを高めるということだけではなく、人間性を高めると言うことでもある。
小林虎三郎曰く「人には磨くべき”道”と”芸”がある」
”道”すなわち、人としてのあり方。
”道”を高めることなくして”芸”は高まらない。
その逆もしかり。
また、アイヌ民族を研究した第一人者の金田一何某曰く、
「ものもいわじ、なにもかたらじ、石はただ、全身を持って己を語る」
そうだよな。まったくもって。
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まあ、最近はそのスタッフの姿を見ればできるだけ
離れるようにしている。
(こっちはお金払って、楽しい時間をすごしたいわけだし)
また、自分にとっては、その人がプロの資格を取ろうがとるまいが、
まったくもって関心がない。
ただ、プロとしての資質、そういうものって確実にあると思うのである。
それ以外のスタッフとはいい感じに仲良しなんだけどなー。