ちゃあとの別れ(3)
今日、日曜日の朝。
8時くらいに家の電話がなった。
電話は留守電となり、メッセージは吹き込まれなかったが、
着歴で母からの電話だとわかった。
すぐに、内容がわかった。
「ちゃあ、やっぱりダメだったよ、夜中に死んじゃったよ」
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電話を折り返し、今日、実家に行くことを告げて、電話を切った。
そして、パソコンを立ち上げて、昔のハードディスクを何台も
あさりながら、ちゃあの写真を探した。
ちゃあをとった画像はたくさんあった。
そのなかから、何枚かの画像を光沢紙にプリントした。
母と、そして、きっと悲しんでいる姉に渡してあげよう。
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実家までは車で1時間ちょっと。
妻を助手席に乗せて、実家に向かう。
道すがら、特に、ちゃあを失った喪失感にさいなまれることはなかった。
それはきっと、近いうちの別れをずっと予感していたからかもしれない。
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ちゃあは、台所で、ダンボールの中に氷や保冷剤と共にタオルをかけて
寝かされていた。敷布団代わりに、僕が実家にいたときに使っていた
枕が敷かれていた。
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ちゃあの寝顔は、昨日とあまりかわらなかった。
少し目を開け、やや背中を曲げて丸まって寝ている。
「午前二時くらいまでは、そばに居たんだけど、そのあとだったんだね。
もうちょっと長くいてやったら」
母が言った。
「でも、そうやって我々を煩わせなかったのは、ちゃあらしいじゃない」
僕は言った。
「夜中に、めずらしく、(2番目の猫)ちぃが台所におきてきて、
朝までずっと居たんだよ」
母はさびしそうに言う。
「ちぃちゃん、珍しく、朝は一口もご飯食べなかったよ」
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それからは、ネットで火葬場を探した。
とにかく、猛暑が続く夏真っ盛り。
両親は共働きなので、月曜日の明日以降に葬儀を持ち越すことは出来ない。
何件か火葬場を当たった。
「予約が必要です」(死ぬ日を予測できるわけないだろ!!)
というところもあったし、
インターネットに表示してある金額の倍くらいを吹っかけてくる
火葬場が何件”も”あった。
そして、やっと、一軒の犬猫霊園で、インターネット表示どおりの条件で、
しかも、今日対応してくれるところが見つかった。
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しばらく時間があったので、母と姉夫婦と共に、昼食をとる。
ちゃあがよく入りたがっていたクーラーのきいた部屋で、
みんなで食べた。
そこに、ちゃあの棺も運び込み、おなかの上に彼が好きだった
魚の切り身と、カリカリのドライフードと、そして裂きイカ、
ミルクを載せてあげた。
「おなかすいてただろ、いっぱい食べていいんだよ」
と、語り掛けた。
本当は、もっと早く、おなか一杯食べさせてやりたかったけど。。。
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時間が来て、家を出るとき。
彼が好きだった庭をもう一度見せてあげた。
そして、母と庭に咲いている花を摘んで、ちゃあの横に
いくつもおいた。
これらの花が咲く頃、いつもその下にあったちゃあの姿。
それを思い出しながら、ちゃあにいつまでも彼が好きだった庭を
感じさせたくて、花を摘んだ。
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葬儀場に行く途中は、
『ペット霊園反対』
の看板が所狭しとたっていた。
たしかに、住宅のそばに、火葬場と霊園が出来るのは、
そこの住んでいる人たちにとっては重大な問題だな、と
ぼんやり考えた。
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葬儀場では、思ったよりちゃんとした御葬式だった。
お経も唱えられたし、お線香をあげることもできた。
そして、その葬儀場の花壇に色々と咲いている花で、
さらにちゃあの周りを飾ってやることが出来た。
ちゃあの下には、青いバンダナが敷かれていた。
「じゃあね、ありがとう」
ちゃあのひげをなでながらお別れをした。
美猫だったちゃあの顔。
今では面影もないけど、それでもかわいくて仕方ない。
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炉に火が入って、40分。冷却に10分。
ちゃあの骨は、真っ白。そして、大きく残っていた。
「本当に健康に生きてきたんですね。こんな真っ白い骨は、そうそうないですよ」
葬儀場の人はいう。
たしかに、怪我こそすれ、大病などとはまったく無縁の孝行猫だった。
ちゃあの骨はしっかり残っていたので、当初予定していた骨壷には
入りきらず、もう一つ大きい骨壷にみんなで箸で入れた。
僕は、ちゃあの肩甲骨。昨日、まだ生きていた彼の体をなでたときに
感じた大きい肩甲骨を二つ。
足の骨を二本。先がちょっと曲がっていたしっぽの骨。
この18年、何度も何度も撫でた頭蓋を入れた。
最終的に、粉骨し、パウダー状になった骨は、小さな壷に入れ替えられた。
本当に、一握りほどのパウダーになってしまった。
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帰り道、「ペット霊園反対」の看板を見つつ、
「それでも、自分にとって、本当に今日はあの葬儀場があってくれて助かったな」
と思った。
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32歳の自分にとって、18年を共にした存在というのはとても大きい。
中学生から高校、大学をへて現在まで。多感な時期の思い出に、
気づいてみればいつもちゃあはいたし、話題になった。
一時期、とても複雑だった我が家は、自分の家なのにそこに
いることがつらい時期も続いたけど、そのたびに自分を癒す相手に
なってくれた。とにかく、かわいくて仕方なかった。
ちゃあは、老衰という形でボロボロに衰弱してなくなるまで、
一生懸命生きていたと思うし、彼も我々を求めていてくれたと思う。
今はただ、
「本当にありがとう」
という言葉しかない。
いつまでも、彼のことを忘れずに生きていきたい。
2000年位のちゃあ ちゃあはいつも、窓から外を見ていた