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ワールドカップ。
まさに死闘といえるパラグアイとの戦いを経て、
日本代表はPKで敗退した。
PKを外した駒野。120分走り続け、攻守にわたって貢献した。
その駒野の母親へのインタビューをマスコミが報じた。
テレビでも、涙を流して
「みなさんに申し訳ない」
と謝る駒野の母の姿があった。
報じたマスコミよ。
この様子を流すことにどんな意味があるのだ。
やっていることが最低だ。
それが、「ジャーナリズム」なのか。
「ヂャーナリズム(笑)」だな。
駒野は幼いころに父親を亡くし、母子家庭の中いまのポジションを勝ち得てきた。
テレビやカメラの前で謝らざるを得なかった母の胸中やいかに。
そうやって謝ったことを知った時の駒野の胸中やいかに。
ふざけんな、マスゴミ。
駒野には酷な経験だったけど、あるいみ日本代表にとって新たな成長の
ボタンを押してくれたのだともいえる。
駒野にはその成長の筆頭に立ち、4年後、またワールドカップで面白い試合を見せてほしい。
胸を張って帰るんだぜ!
本田△!!!
先日、7年の旅を終えて燃え尽きたはやぶさ。
この衛星がなぜ「はやぶさ」なのか。今日初めて知った。
はやぶさが着陸した小惑星はイトカワ。
これは、戦後のまだ貧しい日本で宇宙研究を続け、
ペンシルロケットを開発した糸川教授にちなむ名前だ。
その、糸川教授。第二次大戦中に何をしたかというと、
世界に誇る陸軍の名戦闘機「隼」を開発した一員なのだ。
隼は海軍の零戦と並び、軽戦闘機として格闘戦を得意とし、
「加藤隼戦闘隊」などの活躍部隊を生み出し当時の世界に衝撃を与えた。
惑星イトカワを目指す画期的な衛星が「はやぶさ」であることは、
現代技術者の技術への尊敬と込める思いを感じ得ずにいられない。
こんなバックストーリーがあったとは。
大戦時、硬直的な軍部に技術者はさまざまな制約をされ、
戦闘機隼は、海軍の零戦と同じように、終戦時には全く時代に合わない
非力な戦闘機となってしまっていた。
今の時代、それを繰り返していいのか?
ネコでも杓子でも目先の事業成果、事業成果。
何を持って事業成果というのかと思ったら、金目だけの浅はかな話ばかり。
画一的で浅はかな考えで、かつての隼のように、この技術が発展することを
阻害するのだけはやめてほしいと、切に願う。
全頭処分の農場主の方のブログです。
心が痛むとともに、日ごろ私たちが糧としている生命と、
それをはぐくみ、そして私たちの口に入るようにしてくださる方々への
感謝をせずにいられない生の声です。
ぜひ、ご一読ください。
お子さんにも読んであげてください。
ご家族や、ご友人にも話してあげてください。
http://green.ap.teacup.com/applet/mutuo/20100611/archive
http://green.ap.teacup.com/mutuo/210.html
宮崎県でのこの惨禍は他人事ではありません。
ぜひ、支えあえればと思います。
↓宮崎県の口蹄疫募金に関するページ(宮崎県庁)
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/fukushi/fukushi/shakai_fukushi/html00165.html