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「時代に合わない」というのは、理想を変える理由になるのか

憲法改正について、首相は随分やる気のようだ。

その理由は「時代に合わないから」ということらしい。

どこぞの読者アンケートでも、同様の理由で憲法改正を認める
人の割合が、認めない人を上回っている。

しかし、ちょっとまて。

憲法というのは「時代」に合わせるべきものなのか?

憲法というのは、国家として目指すべき理想を書き綴ったものではないのか?

ちょっと考えたい。

問題は

・時代に合わない

というより、

・その理想に近づくためのことをどれだけやっているのか

ということではないのか?

時代に合わせるという、対処療法的な手法は、憲法そのものの意味合いを変える。

国家としての理念。

たとえば、近江商人にとって「相手よし、自分よし、世間よし」
のように、普遍で目指すべき理念というものは、生き続けているように、
それを時代によってコロコロと変えられるものではない。

変えた瞬間、国家の骨組みのあらゆる部分が変わることをわれわれは考えねばならない。

第一、時代に合わない、とは言うが、
たとえば、自衛のための先制攻撃と戦争をできるような憲法にしたいらしいが、

どのような時代も、そのような自国が攻撃される脅威はあったわけであり、
いま、この時代に初めてなったものではなかったのだ。

現に、多くの人が拉致されていったのだ。

そして、これからはこのような脅威を察知したときに相手の国にたいした
武力を使えるようにするのだろうか。

まあ、改正論議は9条だけではないので、現時点で一概には言えないが、

大切なことは、その今の憲法が実現できるようにどのように取り組んでいるかであり、
憲法を現状に合わせるのは、まさに

本末転倒

しかない。

憲法改正。

目先を考えるのではなく、軽々しく考えることなく望まねばならない。
これは、われわれの子孫だけでなく、地球規模に影響を与えることなのだ。

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2007年05月03日 23:45に投稿されたエントリーのページです。

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