++ 画像・文章の無断転用、転載、加工等はお断りしております++
☆また、商品販売や販売促進を目的としたサイトが当ブログの記事を無断でリンクし、
記事内の情報をそれら目的に用いることを禁じます。☆

« 11月のアベレージ | メイン | ニューボウル ストーム パイロ »

西伊豆を走る ロードスターとウラヌス号

11月25日、西伊豆を走ってきました。
夜に、雲見温泉で以前他の場所での仕事で関わった人たちと
落ち合って宴会をするので、

それまで久々に一人でのドライブ。

5
東名高速 足柄SAからの富士山もくっきり。
でも、ここまで行くのに大渋滞で2時間かかった(泣
高速じゃないジャン!

1 
達磨山付近のレストハウスから。
ここまで行くのにも沼津を抜けるのに1.5時間…。
ここで富士山を見ながら一休み。

峠道を久々にエンジンを回してブンブンはしる。
(飛ばしたという意味ではない)
もちろんフルオープンで。

晩秋の紅葉、冷涼な空気。
コーナーを曲がり得られる遠心力、
タイヤから伝わる路面、
甲高い音で力を発生し続けるエンジン。
確実に反応するステアリングとアクセル、
そして官能的なエグゾーストノート。

”やっと走れたね”

久々に、愛車と楽しみを共有した。

+++

最近、自分の人生に不安ばかり感じていた。
これからどうなるのだろう、とか、
まだ見ぬことへの漠然とした不安にとらわれていた。

”そういえば一昨年もここにきたっけ。
私生活でも色々変わったなあ。”

”でもね、なるようになるさ。”

なんか、安心した。

2
西伊豆スカイライン。この道はいつ来ても、気持ちいいが、
走りやのおかげで路面が真っ黒。
ここぞとばかりにかっ飛ばしているバイカーも多い。
彼らから税金たんまり取ってください。 

4
戸田村をみおろす。

3  
夜は、雲見温泉の網元民宿で仲間と落ち合い、
あわびの踊り焼きでした。。。

あわびさん、おいしくいただきました、ありがとう。

それにしても、やっぱり、日々におわれて忘れていたもの、
ロードスターと走ることの価値、
きれいなものや美しいものに触れる価値、
”なにもない”ということがあることの価値を
再認識した気がする。

この前、この車を手放す夢を見た。落ち込んだ。
失恋したような感覚だった。

でも、いつかこの車を手放す日が来るのだろう…

+++

そういえば、硫黄島関連の映画をやっているが、
硫黄島で戦死した日本軍の中に、「西竹一大佐」がいる。

西は、馬術障碍(しょうがい)競技のスペシャリストで、
戦前のロスアンゼルスオリンピックであとにも先にも日本で唯一の
金メダルを取るなど、
「バロン(男爵)ニシ」として国際舞台で活躍した人だ。

西のパートナーの馬を、ウラヌス号という。
イタリアの気が荒い馬だったようで、ほかの人も手をもてあましたのだが
不思議と西には心通わせたという。

馬術障碍の大会。
西が、うまくウラヌス号をリードしていく。
障碍を飛び越えるとき、ウラヌス号はひょいっと体をひねって
工夫して飛び越え、西を助けた。

そして、西は優勝後のインタビューでこういった。

「We won!」(僕たちはやったんだ!)

それまで、馬は人間の道具だった。
だから、当然「I won!(私は勝った)」が普通の感覚だった。

でも、西にとってウラヌス号は、ウラヌス号じゃないといけない
何物に変えがたい大切なパートナーだった。

この言葉は当時、戦前で対日感情が悪化する中においても
アメリカの人の心をつかんだ。

西は、ロサンゼルスの名誉市民になった。

「バロンニシ、デテキテクダサイ、アナタヲソンケイシテイマス」

硫黄島に張り巡らされた日本軍の地下要塞に立てこもる
西に向かって、アメリカ軍は拡声器で呼びかけたという。
(真実は疑わしいと考えられているが、偽だとしても、
それだけ親しまれた人であるということだろう)

しかし、西は多くの部下を死地に追いやった軍人としての
使命を全うし、昭和20年3月22日、自ら突撃後に斃れた。

西大佐は、戦場に出てからもウラヌス号のたてがみを
常に大切に持ち歩いており、それも戦死した後に発見された。

1週間後、東京の馬事公苑で余生を送っていたウラヌス号も
西を追うように息を引き取った。


時代になじまない派手好きなお坊ちゃま。軍隊でも反感を買った。

「自分を理解した人は少ない。でも、ウラヌス号は理解してくれた」

彼らは、場所は離れても心は一緒だった。

ちなみに西大佐はコンバーチブルに乗っていた車好きでもあった。

+++

さて、今度は、どこに行こう?
もっとたくさん、いろんなものを見に行こうよ。

コメント (6)

秋田のタカ:

それにしても、やっぱり、日々におわれて忘れていたもの、
ロードスターと走ることの価値、
きれいなものや美しいものに触れる価値、
”なにもない”ということがあることの価値を
再認識した気がする。

僕もそう思います。

雪が積もりドライブするには、なにせ車が車なもんで・・・
でも、そこが好き(変わり物なので笑い

nb:

僕も、ホームセンターで買った三段プラケース
すら積めないロードスターが大好き…

もっとも、最近は屋根さえ開ければ
そこらの車よりよっぽど荷物が載る車だと
自負しておりますが(笑)

雪みちのMRは超おもしろ(×)怖いですね(○)

秋田のタカ:

>でも、そこが好き(変わり物なので笑い

僕は、人でなく「物」なのか・・・
最近誤字脱字が多くてちゃんと確認しなきゃね~

雪道のMR-2ものすごく楽しいです。?
ハンドルは切っても曲がらない、かってにおしりが流れる
なんて、スリリングな車なんでしょう~ね、まったくも~
 
でも、あんな車が好きなのよ(笑

僕の「R-RHT]化、進行が止まっております。

ロースター:

・・・その屋根すら開かないので、大きな買い物をしても手ぶらで帰るという「ミエ」を張るのが美学だと思っていますが何か?

久々のドライブ、大いに堪能されたようで。
自分を解放する事ってホント大事ですね。そしてその手段をクルマを通じて見出せていることが実に幸せなんだと私も実感してます。

雪道のMR、なかなかどうして楽しいですよ♪ロドスタよりある意味実用的かも。ただしあくまで「横滑りさせない」のが大前提ですが(汗)
でもあまり雪深いと物理的に走行不可能な状態に陥りますからそれ以前の問題でしたね。。。

春になったら、またトリコロールツーリングしましょうね。「Tバールーフ」が「パワーリトラクタブルハードトップ」に変身する前に(^^

みーこ:

復旧おめでとうございます(遅)私はこの秋、伊豆急全線を歩いてきました。電車のバッチがもらえるから始めたことでしたが、歩ききれたことも
嬉しかったです。
硫黄島の話は今年のNHKの番組で初めて知りました。当時10代後半だった人もいたのが衝撃的でした。寝る前に見るには辛かったのですが、知る事も供養になると思い、最後まで見ました。苦しさは想像するしかできなくて、ただ悲しむことしかできませんが‥。
猫ちゃん達は元気ですか。私の実家の猫は寒くなってくると母の布団で寝ています。私は寝相が悪いので背中に敷いてしまった事があり、それ以来、私の布団では寝てくれなくなりました。

nb:

タカさん
誤字脱字も一つの愛嬌ですよ。
しかし「僕の「R-RHT]化、進行が止まっております。」
うーん、これは由々しき問題ですぞ。
マツダをけしかけますか(笑

ロースターさん
今度、「持ち帰り」が原則の港北のイケアでも
行きましょうか?
意気揚々と手ぶらで帰りましょう(泣
自分の解放をしてあげないと、日々の生活も
余裕がなくなってうまく行くことも雑になるというか。
そうはわかっているけど、思い切りがつかない、
なんて悪循環だったりするのですが。

みーこさん
お久しぶりです、書き込みありがとうございました。
伊豆急全線を歩くというのは、また楽しそうな旅ですね。
そういう旅をするには、伊豆急はちょうど良い規模、
環境のような気がします。でも、「稲梓」の駅なんて、
何にもないですよね…。
硫黄島は、沖縄と並んで本土が直接戦場になったのですが、
軍人以上に住民が死んでしまった沖縄と違い、
事前に住民を他の島に避難させたのが印象に残ります。
戦争は決してよいことではありませんが、それでも
絶望的な戦いに、自分の家族の将来を思いながら
なくなっていった人たちを忘れてはなりませんよね。

ニャンコは元気ですよ、寝ているときも、たいてい
小脇に挟まるか、枕元で顔によっかかるか、
股に挟まって寝ています。まあ、あたたかくていいのですが、
寝返りが…


コメントを投稿

About

2006年12月02日 12:30に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「11月のアベレージ」です。

次の投稿は「ニューボウル ストーム パイロ」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。


■NB-Roadsセレクション
ブログ内で取り上げた商品・気になる商品などをまとめたAmazonのショッピングページ。
NB-Roadsセレクション