鉄道の線路は、あの日から途絶えたまま
細い路地の電柱は、倒れずに今もある
あの日、津波はこの防波堤を乗り越えてやってきた。その時の水はきれいな、透明な水だった。
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仕事で岩手県の津波被災地に行き、現地のかたとお話をしてきました。被災した街を見ました。
しばらく、言葉が出ませんでした。
見渡す限りに続く、数々の家の基礎部分。山積みとなった大破した車。
そんな中でも、人々の生活は続いています。
お話させていただいた方は、多くの苦難の中で、一歩でも千歩でも歩こうと、大きな不安や苦しみを本当は抱えながらも、前を向こうとされておられました。
なにもなくなった町に、仮設で飲食店が立てられていました。
児童公園に、商店街ができていました。
若いお母さんが、ベビーカーで子供を連れて歩いていました。
町をこれからどうするか、考える人たちがいました。
でも、そこではまだまだ、「明日の生活」のための支援が必要とされていました。
家も家財も失った人、お店や工場を失った人。大きな借金だけが残った人…。
続く原発災害と、それによって進まぬ被災地の復興。
政局に走りなんら実効的な手を打たぬ政治。
被災者に、どんな救いがあるのだろうか?と思いました。
…そこに、救いは見いだせません。
表向きはがれきの処理も進み、前向きに時計の針は動いているようでも、本当はまだ「あの日」は続いているのかな、と思いました。
被災地にいない私たちは、それを忘れてはならないと思います。
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何ができるのか考えることをやめてはいけないな、と思いました。
そして、考えたことをせめて発信しながら、大きな力の渦を巻き起こしていきましょう。
私たちは、未来を創造していきましょう。大きな犠牲に報いることができるような未来を。
コメント (2)
nbさん仕事とはいえ貴重な体験、言いようない現実を目にしたことと思います。
僕はお隣の太平洋沿岸には2時間位で行くことが出来るのですが、未だに津波被害にあったところへは行ったことはありません。むしろ行けません。っと言った方がいいのかも知れません。
3月11日の震災以来、テレビで震災、津波被害の報道が毎日にように繰り返され1000年に一度の大震災。この目に焼き付けておくのも人生経験のため、また亡くなられた方の供養のためにも・・・・っと思ったのですが、あまりにも被害が甚大で気持が被災地に向かうのを拒んでいるのが今もあります。
もう少し気持が落ち着いたら是非訪れてみようと思います。
>私たちは、未来を創造していきましょう。大きな犠牲に報いることができるような未来を。
僕は大層なことはできませんが、未来を信じ出来ることをコツコツして行こうと思います。
投稿者: 秋田のタカ | 2011年10月02日 09:54
日時: 2011年10月02日 09:54
お気持ちよくわかります。
私も、仕事でなければ行くことはできなかったでしょう。
まちづくりの仕事をしている私にとって、
その仕事に精を出すことが、甚大な犠牲が出た災害への
使命だと思っています。たいそうなことはできませんが、
積み重ねと続けていくことが大切なのかと…
私が訪れた時、ナントカ士の数名の集団が町を訪れていました。
みんなで並んで、記念撮影をしていました。
信じられませんでした。
被災地は一時期の復興ムードからいったん落ち着き、
そして大きな不安や悲しみに向かい合っているように思えます。
そして、自分の背負ったものの大きさに、それは考えても
どうしようもないことなんだと、言い聞かせているように
私は受け止めました。
そんな人々の生活が続いている中、記念撮影とは…!
>あまりにも被害が甚大で気持が被災地に向かうのを拒んでいる
これが、正常な人の気持ちだと思います。
投稿者: nb | 2011年10月02日 14:14
日時: 2011年10月02日 14:14