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川崎市長選挙

現職の市長が3期目当選確実との速報が流れた。
2番手につけている若手候補との接戦であったが、
結果的には数万票の差がついた。

自分としては、この選挙を通して首長の世代交代が
図られることに大いに期待していたので、とても残念。
(現職市長の莫大なお金を投下しての地下鉄整備計画も不要と考えている)

これからの4年は、高齢化の進展や、
われわれ若い世代が将来的に生活をいかに守っていくかという
インフラを築くには非常に重要であり、そのためには
今がいろいろと変革の時期であるはず。

確かに、若い人では何かが変わり、ベテランでは変わらない、
などという年代でバッサリ切り捨てることはナンセンスではある。
ベテランの方でも、時代を感じ取りそれに対応していくセンスを
いかんなく発揮している人、将来の社会を考え若い人を育てようと
勤めている人もいるだろう。
ただ、育ってきたり、社会で過ごしてきた時代背景や
時代感覚は世代間で大きな違いがあることは否めないだろう。

今回の選挙での各候補のマニフェストを見た。
現職市長は他の候補に比べて具体的な内容が並んでおり、
一見して頼りになる印象だった。
これまでの任期で、一定の成果もある。
そのマニフェストは現在の地位をしっかり活用し、
情報を活用した具体性だと感じた。
若い候補のマニフェストは具体性は劣るものの、
今の川崎、これからの川崎への思いや夢が印象に残るものだったように思う。

「夢や思いで市政が成り立つものか!」
という意見も多いだろう。
でも、今のような閉塞的な時代こそ、みんなで目指せる夢や
希望が必要で、それは生産の主役たる世代にこそ必要だ。

+++

ちょっと話は市長選から逸脱して世代論になるのだけど…


われわれ30代くらいの子育て世代は、なんか、試行錯誤とか、
間違うことを許されない。だから機会を与えられることも少ない。
人々は失敗を恐れるがゆえに、時代にあっていようと無かろうと
「経験」というものの有無や大小に保険を求める。

われわれは詰め込み教育と偏差値、受験戦争、受けてきた教育も
そんな考えだったから、何事にも「正解」を求め間違うことを極度に恐れる、
「逆らわないいい子」に振舞う風潮があるように思う。

一方で、団塊の世代にかかる高度経済成長を支えたストーリー!
などといわれる番組、プロジェクトXを見てみると、
ずいぶん多くの失敗をして、時間をかけて、ようやく完成!
みたいなものが描かれている。
そんなふうにやってきた人たちは、今は一転、当時の自分たちと同じ
世代のわれわれに「失敗」を許さず、仕事上の遊びを奪い、
結果と効率ばかりを求め、ポストを独占し、従順を求めているように思う。
不思議に思う。
昔は職場に酒棚があるのも珍しくなく、定時がきたら集まってその場で
酌み交わす、なんていう職場の風景も珍しくなかった。今、そんなことを会社で
やったらどうか?でも「やるな」、というのはかつてそういうことをしていた
世代の人たちではないのだろうか。

「そんなことは無い、結果だけではなくプロセスが大事なんだ」
と確かなことは言うものの、そのプロセスのための時間や資源、
対価と余暇はあるのだろうか?

かつて1時間かけて手書きしていた文書は、今は10分で作れる。
ということは、作業自体は50分時間短縮されたわけだが、
その分、労働や賃金、余暇に余裕が生まれたのか?
いや、逆だろう。
かつて1時間で1つのことを考えればよかったことが
今は同じひとつの頭と体で、1時間で6つの文書を作成することが
求められるようになっただけだ。

われわれは成長ではなく衰退していく社会に直面し、
さまざまな負担感の中で生活に直面している。これはどの世代も同じ。

もっとも、たとえば30代であれば、社会にでたときから衰退する社会に
ずっといた世代だ。
「明日は絶対今日より良い」、などと夢を見られた時代などとは大違いだし、
そんなのは想像だってできない。
自分が社会に出た年は超就職氷河期で、求人は二人に一人分しか
なかった。(そして、30代になった彼らはいまだに正規雇用につけずにいる
人間も多い)
物を置いておけば売れた時代?そんなのありえるんですか?と思う。

先に政府が発表した貧困率は年々高くなっており、子供の貧困率は
他国と比べても高い。つまり、われわれの世代は子育てする環境に無い、
ということだ。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091020-OYT1T00665.htm
充分な収入、時間的余暇、そして周囲や社会からの支援の不足。
一方では高齢化の問題があり、自分の親を世話するほかに、税金などの
負担も増してくる。
こんな状況で将来の生活に希望と、
子供を作ってその子供に将来住んでいてほしいような社会を残すことへの
希望を持て、というのは現実的ではない。

この問題は切実で、そして、今に始まったことではないのにあまりに無策すぎた。
重大なタイミング(団塊ジュニアというボリューム層における出産率の向上)
も逸してしまっている。
すでに、団塊ジュニアと呼ばれる三十代後半は高齢出産の域に達しているのに、
その出生率は0.86(NHK)つまり、この年代の女性一人あたりに対して0.86人、
ということだから、単純に夫婦で男女が計2人いるとして、子供は半数以下にとどまる、
人口は半減以下になるということ。将来の社会は子供なくして支えられないのだが。
この出産率は10年前は1.46人だったから、現在の同じ年代の生活環境が
より逼迫していることが明らかだ。
「子供を作らないのが悪い」とか、「それがいまどきのライフスタイル」
なんて認識はいまや間違い。
(35歳の実態調査 http://www.mri.co.jp/NEWS/teigen/2009957_1403.html

それら状況改善に対応するには、ただ福祉に金を使えばいい、
というものではない。
福祉は基本的には次の金を生まず、消費される一方であるから、そこに負担が
増えればそれを支える税収の構造が無ければ財政は行き詰る。
税収を支えるには人々の生活が成り立つことが必要だ。

だからこそ、子育て世代が子育てと生活を余裕をもってしていくことができ、
さらには老いていく親の面倒を見られるような経済的・時間的余暇、そして、
将来への希望をもてる環境・構造作りが必要である。
それは個人レベルではないさまざまな部分での社会の構造の変化が
必要なのだ。
なんでもかんでも「自己責任」ではない。
これから深刻となる高齢者福祉にとって重要なのは高齢者のための金の
バラまきではない。生産的な若手世代の生活・就労環境改善ではないか。
それによる公共の高齢者福祉負担の軽減と、税収の向上ではないか。
そして、その具体化には、それらの年代が主体的に主導的に参画していき、
時代にあった選択をしていける環境と意識が必要だ。

それなのに、社会はこのような状況に本腰が入っているとは思えない。
それは、
依然としてポストを押さえて次代に譲らない高い年代の意識の問題と、
それを奪ってまで主導権を握ろうとしない若い世代の意識という
双方の世代間の問題があるように思う。

特に、われわれの世代は、与えられることをまっていてもそれは
座して死を待つに等しいものがある。
たとえ希望の見えない社会の中にも、いかに希望を見出していくか、
実現していくか、ということをまずは共有していくことが大切だろうと思う。

+++

そうそう、今回の投票に訪れた有権者の年代構成も、
ぜひマスコミで調べて発表してもらいたいものだ。

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2009年10月26日 01:24に投稿されたエントリーのページです。

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